ゴーダワールド

 hello. i love you. oh right! Let’s die. Actually, Let’s enjoy my life

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PCは寝そべって打て

2006 4/19
先日、PC(ノートPC)を横にして本を立てるような状態にして、自分も横に寝そべって両手でキーを打つという画期的なぼくのスタイルを紹介して、自分は天才なんだろうなだってこんな事思いつくんだもん、と鼻が5mくらい伸びて僕の前を行く人はみんな僕の鼻をよけるためにしゃがみこんだり平伏したりしている気持ちで生活していたのです。

ぼくは友人宅で、友人のノートPCを横に立てて横に寝そべってグリコのメンズポッキー(ビターチョコ)を食べながらアマゾンの視聴を聞いていました。





「・・・・・。いや。じゅんさん素晴らしいスわ。いや、まったくほんとに・・。

 ・・・ただ、・・・人間とはここまで堕落できるものなんですね。・・。

 いや・・ほんとに。それは何か越えてはいけない線を飛び越えてしまってると・・。」


(関係ないですがアマゾンの視聴で、NRBQというバンドの「RIDING IN MY CAR」というアルバムの13曲めは最高の演奏です。ああこれがぼくの求めていた音楽です。そしてこれこそが音楽です。)



「ていうか家でもそのスタイルなんすか?」 「うん。」 「奥さんとか何も・・?」 「うん。あ、でも『かしこいね』って言ってもらったよ。」 「・・それは微妙な表現・・ですね。」

そして、この場で全国1億何千人のみなさんに、このぼくのスタイルを実践しておられるみなさんにお詫びをしなければなりません。


この方法だとパソコンが固まってしまいます。(万歳まんせー)


どうも最近PCが固まるなあ、新品のノートPCなのにおかしいなあ、と首を傾げていたところ女房が、

「あのな。そのスタイルや。精密機械をそんな風に立てる奴がどこにおるんよ。」

いや、ここに・・しかもみんな真似してるでたぶん。

「誰もせーへん。」





NEBQの13曲目の視聴は↓をクリック

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000IFWX
/qid=1145449332/sr=1-47/ref=sr_1_2_47/249-4196933-8355542


スポンサーサイト

遺伝子は確かに受け継がれた

sora-web-diary.jpg

 しょうがないか、俺の子なんだから 」

今年に入ってから4ヶ月しか経ってないけど、このセリフが今年No1の回数を記録するのではないだろうか。
そして見えてきた事実がひとつある。 この子は間違いなくかなり気が強い。


ぼくは女の子が誕生するとわかってからはずっと「女の子の育て方」みたいな漠然とした勝手なイメージを持っていたので、それは時にぼくをもの凄く心配にさせていた。

女の子の赤ちゃんなんて小さくて、可愛らしくて、吹けば飛んでいきそうな壊れやすい、そんな幻想を抱いていた。
ひとりでさみしくてクスンクスンって泣いてるような。かよわい感じの。

ぼくも馬鹿である。もの凄く大事な重大な事実を忘れていた。
そうだった、この娘は
ぼくの遺伝子を受け継いでるのだった。

いくら全然違う魂がこの娘の肉体に宿ったとしても、この肉体には、その血には、ぼくの生き様が間違いなくこの娘に受け継がれているということを。


どこまでもふてぶてしく、愛想笑いがへたくそで見え見え、泣く時はさびしくて泣いてるのではない、ただ今の状況がつまらないから抗議してるだけである。
ほおっておいたら一人でずっと宇宙語を出しながら遊んでいる。ぼくの呼ぶ声は彼女には絶対聞こえない。
目の前で呼んでも気がつかない。というか無視。 

しかし抱っこしてやるとめちゃくちゃ喜ぶ。その喜び方は尋常ではない。

ウマイ。巧みなまでに上手い。心得ている。こいつは男を使うのが上手い。興味ないときはビックリするほど冷徹な大人の女の目つきでこちらを斜めに見る。
『フン、つまらないオトコ、ま、あんたじゃしゃーないわね』というセリフがちゃんと心の中に聞こえる。テレパシーを使っているのかもしれない。


残念ながら女房にはそれはない。女房はオトコの扱いが僕が出会った中ではダントツに下手くそだ。
オトコを使うことがもの凄く下手なのだ。だけどそらは上手い。


何をたかが0歳児のことで、、と言われる方は是非うちに来ていただきたい。いや、来られても困るが。
はじめは猫をかぶるので、要するに『自分を装(つく)っている』のでわからない。でもこの『装っている』のがぼくら両親にはよくわかる。お出かけ用の顔をすでに持っている。
慣れた頃にはもうぼくが言っていることが手にとるようにわかるだろう。
そしてそれこそが、彼女には僕の遺伝子がしっかり受け継がれている証拠なのだ。

ぼくのことをだらだらとここで書いてもしょうがないんだけど、っていっつも自分のことしか書いてないただのナルなんだけど、ぼくは小さい頃から大人が何を求めているか、どうすれば喜ぶか、どう演じてやればいいか、などすべてわかっていた。もちろん大人の嘘やごまかし、隠し事もわかっていた。

大人が喜ぶように演じれば演じるほど、本当の本人は内へ内へと入っていくのだ。意識の深いところで。
しかし、子供のうちは精神は内ではなく外へ向かうべきである。まず外。そして内へ。そのくりかえし。それが宇宙の呼吸。
行ったら帰る。外へ行ったら内へ。最近は外へ行きっぱなしの大人がウヨウヨいるけど、行きっぱなしは自分を見失います。Grandma take me home!なんて最期に叫ぶはめになる。
でも演じれば大人が喜ぶ。子供にとって一番嬉しいのは親が喜ぶことだから。


ぼくはそういう自分の経験も踏まえて、嘘はなるべくつかない。そして、そらの嘘も全部見破っている。だからそれなりの対応をする。自分を見てるようなもんだから。


ぼくはこう言ったうんちくを毎日毎日女房に熱く話している。

「はいはい。そやな。もうほんとに・・。0歳児と本気で張り合う35歳児。」



「・・・。」

油絵 布(70X80)

sora-shajituweb.jpg

最近はまっている音楽がインドの街中でかかっていたそのものの音源を収録した(しかもモノラルで)かなり濃い、脳内トリップ度抜群のCD
「インドカレー屋さんのBGM 激辛編」 なんですが、はじめはインドを懐かしむつもりで聴いていたのですがこれがなかなかはっきり言ってかなりよく、そろそろまた格安航空券を求めて旅行会社の扉を叩きかねないのです。



毎日毎日ループで聞きまくっているうちに、その曲の流れる順番やアルバム全体の雰囲気やポップさがシュガーベイブの「 SONGS 」に匹敵する、と友人に豪語したがまったく相手にされず。



まあそれにしてもどうせインド行っても帰る頃には「 インド人全員殺す 」と言ってることだけは1000%間違いないんだから止めときゃいいのに、、、でも不思議とまた行きたくなるのは何故?。





布切れに黒ジェッソ、油彩、ハッチング。

「HELP ME」 油彩、型紙

ho-helpweb.jpg


今日も潰れかけの会社の事務所でひとりポッキー食べながら村上春樹の読書にはげんでます。
仕事がないんだから例えまわりの人間に影口叩かれたってぼくは少しも気にしないし、というかぼくは影口叩かれるほど友達いないんだった。てへ。
まわりから見ると『あいつ一日中何にもしないで給料もらってキラクなもんやのう』と絶対思われてる、し、正解。ファイナルアンサー。

でも実際ぼくは給料滞納されててまともに払ってもらってないんだからって・・こんなこと別にいいか。今はとりあえず妻子を食わせていけたら僕自身は特に何も望まないし実際欲しいものなどこの世に何もない。
欲しいものは全部持ってるし、もしくはお金じゃ買えないもんだし。

この作品の日付が2004年11月と小さく書いてるからずいぶん前。
えっとこの時は無職やったのかな、フリーカメラマンだった時かな、忘れちったけどまあHELP MEって書くくらいだから大変だったはず。
夫婦でフリマとか出して生活費稼いでたような気もする。でもその金でベトナムに旅に出たなあ、確か。

HELP MEなんて書いても誰も助けられないことは百も承知だ。
ぼくは誰か他人に向かって書いた言葉ではない。自分自身にむかって大声で叫んで主張したのだ。その時も、そして今も。
そしておそらくこれからもずっと。死ぬまで。






娘は毎日湯船で放尿


つかまり立ちをしながら何やら聞いた事もない言語をあやつる娘に多少困惑気味のじゅんレモンです。



         



毎回洗いたての湯船に娘がかならず放尿することは、別段気にはしていないのですが、ピカピカにワックス掛けした洗いたての車が翌日黄砂まみれの大雨に晒されてしまうことは僕にとって耐えがたいものがあり、こんなにストレスを感じてるんだから大好きなモスチキンを2個食ってやるぞと誕生日プレゼントにモスチキン2個をたいらげてプレゼント終了で御満足、という非常に安上がりな父親を演じてます。

 

演じてます・・?



誕生日で思い出したのですが、

はるか昔、紀元前の時代に現在のネパールで生まれたゴータマ・シッダールタ(後の釈迦)は世の無常を嘆き、29才で妻子を捨てて家出し、それから6年後の35才の時にインドのガヤと呼ばれる地の大樹の下で悟りを得て、その教えは現在も悩める衆生に光をあてているという。



ぼくは釈迦が35才で悟ったと言われるその年齢の誕生日をワックスかけした車を汚した天気に腹を立て、その代償に鳥の肉を必要以上食べることで怒りを沈静化するというまさに釈迦が薦めるであろう教えとは180度違う行為をすることで一日を過ごしたことに、実は逆に変な誇りを感じてます。



誇り? 



誇りといえば最近父親の威厳を損ないつつあるぼくですが、早くも『父親?そんなのいましたっけ病』にかかっている娘に一生懸命父親の存在をアピールするものの、どうしても彼女には僕の存在が目の前のコップやスプーン以上の価値がないと認識されており、なかなか流石に自分の子供だなあと思わざるをえない娘ですが、彼女をホフク前進でこちらに猛進させる最後の手段がウクレレ演奏という反則技なのです。



それはもう「はなこさんチューニング」を奏でるだけで宗教団体ジャニーズ教に傾倒している婦女子のように奇声をあげ『なんやあんたそこにおったんかいな』という顔で父親の存在に気付き突進してくるのです。

そしてその娘の突進に、『勝った・・』と思う35才。



でも2~3曲ふにゃふにゃと好きな曲歌って横を見たら 
もうおらへんがな。





絵は毎日夜に集中して描いてる。毎日。

その毎日の躍動的で規則正しい循環は回転を生み、僕自身をしっかりと円心に向かわせ、その回転で生じた遠心力は外側に飛び出す力を生み、その内側と外側のバランスを保つのに精神と肉体と魂との三位一体となるべき三つの融合の必要性を強く感じずにはいられない。



それは結局自分自身の問題であり、それぞれ個人がそれぞれの航海に舟を出したのであり、そここそが人類が希求したサンクチュアリであり誰も介在出来ない聖域であり、そしてそこには社会性や家族、大きく人類といった物事とは別の次元の大切な生命の息吹きが存在しておりそれこそがかつて釈迦が言い残したサイの角のようにひとりで歩まなければならない道であり、使命を探す迷走の旅を今も続けている迷える子羊たちにとっての岩陰から射し込む一条の光なのである。



その一条の光とは神でもなけりゃ仏でもない、探し求めた答えが書面に記されているわけでもなく、何もない、

その光の先にはただの鏡が置いてあり、そこに写るのは当然、自分。

要するにそこは自分で歩む以外他に方法はなく、従者もいない、従者は自分。

この世界に他の住者はなく見えるものはすべて幻想でありその営みも全部しかり。すべて自分。

釈迦が伝えたかったことは言葉にするとcheepで誤解を招いてしまうもので、下手すると混乱をまねくだけの表現になりかねない場合もじゅうぶん有り得るものでして、言葉は絶対ではないし、そもそも絶対などというものはこの世に存在しませんし、言葉はロゴス、肉体、そしてツール。





娘は今日も相変わらず風呂の中で放尿をしている。 湯船につからせて4.2秒後にいつも。

風呂に入れる時は必ず娘の股をおさえて尿が放たれてきたらすぐさま湯船の外へ、放たれたら外へ、ということをやってたんですが、最近は『 知らん。垂れ流せ 』とばかりに無視して湯船はほんのり箱根温泉のような硫黄臭。

後で入る女房が湯船のお湯で髪を洗ってるのはもちろん承知の確信犯。



「最近風呂のお湯が変な感じやなァ」 

「えっ、そーか?あれちゃうか、雨が多いしーなんや水道のちょーしおかしいんとちゃうかな」

「ふーん、なるほどなあ、そうやな!ほんならしゃーないな!」と納得する34才おんな。



・・・納得してはる・・。





いや、この人と一緒になってよかったな。






 油絵  布切れ

ho-liberty.jpg

 有名画材店が恒例のバーゲンセールをやってたのでここぞとばかりに行って来ました。

 いつものとおり店内はバカ混みで大変賑わっていたんです。

 やっぱりアクリル絵の具に人気があるので一番混んでいたのですが、油絵の具もそれなりに混んでました。

 ぼくが慎重に絵の具をえらんでいたら、いかにも美大生風の女の子が(なんとなく息が荒い感じの)ぼくの横にきて絵の具を物色し始めたのです。

 せめてお前、髪くらいといてこいよ。とは思ったものの一心不乱に絵の具をかごに入れるさまに感動すら覚えたのでした。

 それにしても中身も確認せずにバッサバッサと結構でかいチューブ選ぶなんて凄いなーエライなーなんて思いました。 だってそいつのカゴ見たら、どう考えてもウン万円は軽くいっていたと思います。

 それにくらべてオレは・・・4号チューブにしようか6号チューブにしようかで悩んだり、この色はまだちょっとあったし、この色はちょと高いからアレとアレ混ぜて作れるし、、なんてちまちまと長い間考えていたのです。

 情けない・・・。 あの子はあの若さでおそらく生活費やなんかで苦労してるだろうに、でもあんなに潔くスパッと高い絵の具も選んでいるというのに、俺は絵の具なんぞに高いお金払うのがもったいなくてもったいなくてちまちまと小者だなあ、とちょっと落ち込んでいたのです。

 いやあ、今日はお勉強させていただきました。

 あなたのような方こそが真の芸術家です。

 ぼくはあなたの絵を見てみたいです。

 そういう尊敬のまなざしで、今にも彼女の後ろ姿に深く一礼をしそうなそんな気持ちでした。

 結局最後にはドバドバっとテレピン油などの油ものと、でかい大作用のチューブをこれまたドバドバッとカゴに入れておられました。いやもうあなたは神様です。神が来臨されたのです。光り輝いてます。まぶしいです。この場で床にゴザでも敷いてひれ伏してお祈りをささげてもよろしいでしょうか。

 レジに向かわれる神様をじっと見送っていました。

 神様におケガなどありませんようにと。

 すると横から神さまによく似たおばさんがあらわれました。



 「 あんたそれだけでええのんか?しゃーないなー、もー。」



 ・・・・・・!!!!

油絵の具  F0号

koe.jpg


かつて紀元前にネパールのルンビニと呼ばれる地に誕生したゴータマ・シッダールタ(のちの釈迦)は、彼が29才の時に妻と子供を捨て、ひとりで家を出た。失踪した、出家した。
それからひとりで修行をし、彼が35才の時に、インドのガヤ(現在のブッダガヤ)と呼ばれる場所の菩大樹の下で悟りをひらいたと言われている。

そしてその教えは現在でも多くの悩める衆生を救っている。


どうもお久しぶりです。
いえ、別に何もあらたまる必要なんかございませんが文章の流れで入り易いようにこんな改まった文章になってしまいほんとうに申しわけご・・ぶはっ

35になったのです。ちょと前ですがぼくもとうとう。
かの釈尊法師ブッダはこの年で悟りをひらいたというのにこのぼくの有り様は何ですかまったく。

そうですねえ、まずは妻子を捨てねば。釈迦を見本とするならば。
要するに家出失踪。やり逃げ、認知拒否ですか。なるほど。偉い人のやることは違います。

そして働かない、社会奉仕の放棄。おっ、これ現代でも流行ってるじゃないか。
さすが仏陀、先駆者ですね。

そして当然物乞い。これもブルーシート族の先駆者じゃないですか。

時代が変われば意味も何もかもが変わるのだなあとポテトチップスうすしおをばりばりと頬張りながらこうしてパソコンのキーをさも難しそうな顔をしながら叩いてるぼくは、もちろん仕事中です。
こんなに仕事がないんじゃ潰れるでしょうね、ここも。ま、なるようになるでしょう。

またインドに放浪の旅にでも出ようかなって歩き方の最新版を見てる時点で人生の警告ランプが点灯してます。
もちろん旅なんてひとりでないと何の意味もないんだから妻子は置いていきますが。
カシミールの映像なんかがちらっとTVなどに写ったら、ぼくは今すぐにでもパスポート更新しに走りたい気持ちでいっぱいになってしまいます。
友人も妻もぼくからインドという言葉を消し去りたい、そんな世界はこの世には存在してなかったんだよボーイ、的な対応をしているんですがそんなことやってもぼくはすべてお見通しなのに。
ていうか別にインドでなくたっていいのに。どこでも。
いいじゃん、他人のことなんか。死にたきゃ死なせてやれば。

せっかく妻子も持ち、最低限の仕事にも就けてこれ以上何を望むのか?って言われるんだけど、ぼくは正直言って何も望んでいないし、何も欲しい物なんかないんだけどなあ。

どうせインドに行っても散々喧嘩してもう二度とこんな国に来るかボケって叫びながら帰ってくるのは目に見えてるんですが、日本に帰って安心安定重視な過保護な甘い大海の中の蛙のような世界で暮らしてますと
ああ、どうでもいいや、死のうかなあ、なんて米神に銃弾をぶち込むような気持ちになるので時々目を開かせてやらないといけないのです。



作品の題名は 「声」
キャンバスに油彩。

ぼくには「好きなように生きなさい」という声が聞こえるのです。







「風の歌を聴け」

sora-kage.jpg

先日雨がざあざあと降りだしたので会社には気分が悪いとかいつものように適当に理由をつけてさっさと早退して、雨降りの中を洗車したての水色のekワゴンで久しぶりに古本屋に寄ってみたら、ずっと気になってた村上春樹の「風の歌を聴け」が文庫本のコーナーでぎゅうぎゅう詰めでとても窮屈そうな状態で置いてあり、ああよかった、今日はなんかイイ事がありそうだぞ、早引けして正解だったなあ
と思ったのはいいけど、イイ事ってその文庫を見つけたことなんじゃないかなって今これを書きながら気がついたのです。

それにしても、窮屈そうな状態だったその本を本棚から抜いてあげても依然として窮屈さは変わらないほど薄っぺらなぺんぺけぺんの本だったのですが、中古で250円とはちょとびっくりな値段の高さでして、まあ本の状態がほとんどサラ同然だから仕方ないか と思いましたし、もともと352円の本だからもうちょっと下げられないのかと横で暇そうに本の整理などをしてる
フリをしてる店員に聞いてみたのですが、どうもそこのコーナーはそれ以上下げられないらしく、状態もいい本ですのでねえすみません。と謝られた。



何も謝らなくてもいいのに、と思いながら じゃこれください と伝えたら、お会計はレジのほうで
とまったく心こもらないマニュアルどおりの対応でさっとかわされて、ああここもしっかりと職業分担の教えが広まってるんだなあ、日本国万歳まんせーと心の中で両手を挙げながら涙ぶわっな顔を思い浮かべた。



そうやって今目の前にあるこの「風の歌を聴け」ですが、実はまだ10ページしか読んでません。

村上春樹の本は独特の世界観があるのでその中にしっかり没入しないとぼくは楽しめないのです。

ちょと読んで娘あやして、ちょと読んで娘あやして で10ページ。そしてもう読む気なし。

またいつか読み終わったら感想を書きたいな って読み終わってからこの日記書けよとも言えますが。



というわけでだらだらと意味もなく長い日記になったようなので( 注:すみません編集で三分の二ほどカットしました)、ああごうだくんは今もんのすごくひまなんだなとわかってもらえたらぼくもこの星にやってきたことに意義を見出せますし、エンパイアステータスビルから自分が神であることを証明するために飛び降りることもなくなるわけでして、たとえ洗ったばかりの浴槽に娘が中ですぐ放尿しても笑顔でいられますし、栗原さんちのデザートシリーズの新製品が出たと大騒ぎすることもありませんし、甲子園でぐーちょこらんたんが見られないと血なまこになってNHKに怒りの電話をすることもありませんし、野菜生活のベリーバージョンが出たと皆にしつこいと言われるくらい教えてまわることもありませんし、1円安いからとわざわざ遠い給油所まで行っても20円しか安くならず、そこまでのガソリン代の方が遥かに高いこともすぐ気づけますし、、、いやほんとに。



☆☆☆☆☆



折角、楽しみで買った村上春樹の「風の歌を聴け」もあっさり2時間で読み終えてしまい、物語の内容も同じようにあっさりテイストで、その期待してた分、何もかもがあっけなくあっさりで流石に352円だ、中古で250円ならまあいいか、と開き直ってますが正直言ってしまうとぼくはこの手のものは結構好きなのです実は。あっさり感も。

でももんのすごく練って書いてますし、あっさり感を出すために読みやすい文章にするっていうことは物凄く難しいことですし。



そういえばぼくがおそらく自分の人生の中でもかなり上位を占めるほどの大好きな文章があったんだけど、なぜか今思い出そうとしても全然思い出せない。どんな内容だったのかもさっぱり。今ぺらぺらとめくって探そうとしたけどみつからない。

普段のぼくならば、そんなお気に入りの文章は何が何でも探し出して暗記するくらいのことはやるのですが、そんな行為じたい意味のないもので、別に何も啓蒙してる本ではないし、例えどんなに心に響いた文章があったとしても別にいいじゃないか、その時はまたもう一度読めばいいんだから、短い小説なんだし って感じで、

そんな風に思わせる力を持っている、そんな本だった。

甲子園よ、邪魔や

sora-uwame.jpg

ただでさえウダウダマンに変身する時間帯なのに甲子園なんか放送されたらたまらん。受信料返せよう。なんで精子臭い坊主頭のタマ遊びを金払ってまで見ないといけないのか。
この時間帯はぐーちょこらんたん見せてたら機嫌がいいし、家事や家の事がさくさく出来る事は全国の主婦全員が思ってることで常識だろ。

まだまだわかっとらんなあNHKよ。
誰も主婦なんかやったことない口だけの男女平等を唱えてるだけの封建社会であぐらかいてる男尊女卑オトコばっかなんじゃないのか。

といいながらも写真は娘が坊主頭のタマ遊びに反応してる図。
おまえあんなんがええのか。へえ、趣味わるいなあ。まええけどさ。
お父ちゃんはあんまりやな。
野球選手で好きな人ひとりもおらんねんもん。






油絵の具と岩絵の具を使用

sora-kilin-blog.jpg

誰が好景気なんて勝手に言い出したのか。

どこの世界が好景気なのか教えてくれないかぼくのまわりはみんな失業の嵐で仕事があってもぼくのようにギリギリの生活を強いられているんだけどな。ま、ぼくは馬鹿らしいからほとんど働いてないんだけど。

誰かが富めるならそのぶん誰かが貧してなきゃこの日本のシステムは成り立たない。誰かが大金持ちなら、どこかで必ず誰かが餓死するほど貧窮を極めているはずなのである。それが日本が決めた未来のベクトルだ。
これをわかって日々生活しているのだろうか。わかっているのならばこれ以上に薄ら寒い世界はない。
金がないやつは頑張れよ、じゃないのだ。金がないやつは頑張っても金はないのだ。たとえ金を手に入れたならどこかでそいつの代わりが出来るだけだから。みんなが裕福になることは出来ないシステムなんだから。
ちなみにキョーサントーではない。

ぼくはこの世に政治家なんぞ一人もいらない、と思っている。
選挙はいつも投票するけど白紙。
だってホントはいらないんだもん。本当に。

そしてぼくと同じ考えの人が大多数を占めたときだけ本当に世界は変われるんだよ。

Top

HOME

ゴーダワールド   Goda world

Author:ゴーダワールド   Goda world
   
京都在住
画家
既婚
レッドブルぶどう味
コーヒーはブラック
最近はラテ

web site ↓


http://www.eonet.ne.jp/~goda


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。


contact ↓
メールはこちらへ

 
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。